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ゼロ農のこと3

これまでの経緯とか
09 /21 2018
こんばんは、むぅです。

今回は「にじたま」誕生に密接に関わるテーマ。

どうして高品質の卵を作るの?というところであるが


これには、福島の子供たちがかつて、今もそういうことは少しあるのかもしれないけれど

「放射能いじめ」に不当に晒され、はっきりと差別されたことが

どうしても許せなかった。

彼らは、好き好んで福島へ生まれたわけでもない。

逃げ場のない、心のない物言い、醜さに触れさせられた。

あのことを思い出すと、今でもこめかみの辺りの血管が切れそうでビリビリする。

どうしてそこまで差別されなきゃいけない?

そして、鼻血が出たり、病気になったりすれば

「それ見たことか!福島だから!かわいそうに!かわいそうに!!」と言われるのだろう。


・・・・今では、ご理解を示してくれる方もだいぶ増えた。知ろうとする人も。

とてもありがたいことである。

しかしそういう差別を生み出すのも、ひとえにテクノロジーへの無知からなる。

そんな危険性もよくよく理解しないテクノロジーで電気をホイホイ作ってたんだと思うと危なっかしいなあ・・・

小学生の頃、富岡町のフクニサービスホールに社会科見学に行ったが、

タービンが回って発電するんだわね、と説明を受けてどっちゃりでんこちゃんグッズをもらって帰ってきたなあ。

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さて、私は子供たちの体を強くする、病気になりにくい身体づくりを手伝うことにした。

福島の子供たちは、どの県よりも健康ではつらつとした子達が多いのだと。

そうなればいいと思った。

(残念ながら震災以降外遊びが減って、肥満率がグーンと上がってしまったが・・・)

良い食べ物は、良い家畜から。

一粒50円くらいの薬を飲んで命を永らえるより、一個50円のレグホンの目玉焼きで健康になったほうがいいじゃんね、

(薬価はわからないので、ごめんなさい。同じ金額を払うなら健康になったほうがいいというたとえです。)

私はいまのところ、未来を紡ぐ役割にない。これからもそういう機会は来ないにしても

しかし未来へのお手伝いくらいはできる・・・と思う。

だから、「にじたま」をはじめ、牧場で生まれる卵たちは、正直に言うと

福島で生きる子供たちのために作り始めた。

健康で生きて欲しいなんて、やっぱりエゴの塊かもしれないけど

オトナのセキニンとやらを果たしたいのだ。
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ゼロ農のこと2

これまでの経緯とか
09 /06 2018
こんばんは、むぅです。

ええと、前回の「経緯」については、羊の文化を継承ということであった。

今回は、羊と鶏の関係性ということであるが、

羊の牧場のはずなのに、どうして鶏もやっているのか?ということと

再興と言うなら移じゃなくても川内村内で良かったんじゃない?というところであるが


これも震災と密接な関係を持つ。

さすがに被災した養鶏場は見なかったのだけれど、日本の養鶏場のほとんどはバタリーケージという

鶏一個分のスペースに鶏をセットし、前から餌と水、後ろから卵という

なかなかどうして恐ろしい構造である。

被災地にもそういうところがなかったかというと、まああったのだが、それは営農方針の違いとして

それがダメとは言わないでおく。

鶏を始める前に、畜産ベースの本と、高品質卵の調査をして

畜産ベースは

平飼いなら、デビーク(※)をして、というまたまた恐ろしい単語が出てくる。

とにかく、いろんなもんを削っていくのが畜産ベース

高品質ほど環境と餌に収量が左右されるけど削らない。


では、完全な管理のもとで育った家畜たちは、有事の際はどうなるか?というところであるが

牛なら、水が飲みたくて沼に突っ込んでいったり、用水路に落ちたりした。

豚も側溝にはまったり。

運良く逃げられた個体はそんな感じで、運悪くスタンチョンやドアがあかなかったものは、そのまま亡くなった。

これは農家さんたちを責めているのではない。


問題は、「家畜の生き物たる力を削ぎすぎている」というところなのである。

ええと、力を削ぐから家畜化出来ているところもあるんだけど、ここではそれは置いておく。

生き物が生き物らしく生きられないという畜産は、私はしたくなかった。

(実際、川内村アニマルフォレストでも24年に生まれた子羊が、餌の紐を食べてしまい死んでしまった事例があった。
胃袋にビニールの紐がびっちり詰まっていたのだった。人が居られたなら、そんなことは起こらなかったのだ)


ええーと話がだいぶそれたんだけれども、羊=環境依存度が高い、草を食べる生き物だから。

そして働けるようになるまで2年かかる。

その2年の間、「環境依存が少なく、少額投資で、割合自由な商品デザインができる家畜は?」

答えは鶏だった。

鶏も、鶏が思うままの暮らしをするべきなのだ。

というか、鶏が一日の間何をしているのか、まあ分からなかった笑 んだけども

さっそく県内の丁寧に作った卵の農家さん(のちの師匠)のところへ見学に。

百聞は一見に如かず。目からウロコ量産。(視力はいいのでコンタクトは付けてないです。)

そして、次は、「では、このうつしの森で鶏が暮らしていたとしたら、何を食べるだろうか?」

という想像に入った。特産品と近場で手に入るもので暮らすだろうな。山んなかの鳥は毎日魚は食えないだろう。

残渣とか産廃とかそういう言葉はあまり適切ではない気がするが、循環しなくなったものはそういうゴミ扱いされている。

かつては家畜の餌だったのに。

という訳で、「三春藩特産品・三角揚げ」のおから

「船引町特産品・エゴマ油」の粕というものが餌の中に入っている。


つまり、答えは羊のパートナーとしての鶏である。


一番下にデビークの話を乗せたが、ちょっと嫌になってきたので

クチバシのことを。

つつかれても、血が出るほど攻撃してくることはありません。

ちみぎられると多少は痛いですが、食いちぎることはありません。

どちらかというと蹴られたほうがアザになりますが、これも特段理由がなければ蹴りません。

だいたいこういう場合は環境に問題があるか、オスが多すぎて戦国時代か。



※デビークとは…「つつき」という死に至るイジメを防ぐために、ひよこの時に

嘴の先端をバチンと切ってしまう手法。

もちろん失敗してしまうこともあり、不正咬合で餌がうまく取れなくなったり、舌まで切っちゃって
死んじゃうことも。

つつきも、えさが足りなかったり環境要因があると、私は思っています。

ゼロ農のこと 1

これまでの経緯とか
03 /13 2018
こんばんは、むぅです。

ブログタイトルの「ゼロ農」とは何かを書こうと思う。

まず、私は農家の生まれではない。

スキル、土地、農機などなどはナシ。完全な新規。

それどころか、まさか農業的生活を送るとは、つゆほども思ってもいなかった。

なので、最初に浪江町に納品に向かったときは、なぜだか笑えた。


人生ってわからねー、と。


大きなきっかけは確かに東日本大震災なのだけれど、その回りにたくさんの小さなきっかけがくっついて

ようやく?牧場という形となった。

説明する際、いつも10個くらいある!というのだが

瞬時に出てくるのは3つくらい。 より強いものが3つなのかもしれない。

長くて理由付きなので少しずつ書こうと思う。


1、羊の文化を継承する

これは最も牧場に影響するもの。先の震災で「アニマルフォレスト」という名のもとに
川内村の牧場にて、被災した羊と山羊に特化して飼養管理と情報発信などをやっていた。いまも継続中。

最初は、そんなどころじゃなかった。
自分の健康被害への懸念、あらゆる制限、片道70キロ、往復3時間の生活。

安心安全復興!を押し出していくところに「自分は被災した羊とヤギを飼っている」という後ろめたさもあった。
責められたことは一度もないけど、なんだか復興への足かせになるんじゃないかと思ったことも。

羊のことは羊に教わった。

元の飼い主(義父)からはほぼ何も教わっていない。笑


・・・しばらくして、(超絶独学だけど)このままアニマルフォレストだけをやって、

川内の牧場にいる皆をお墓に埋めるまで面倒を見るだけでいいのか?と思うようになってきた。

アニマルフォレストは「被災した牧場のかたち」であり、牧場の再興ではない。

牧場を再興しないのか?川内の牧場の元の形は、なんだったっけ?と。


羊は、日本古来の土着の生き物ではない。
しかし福島県にはかつて飼養頭数全国一位だった地区があり、全国唯一の「羊・ヤギオンリーの市場」があり、
浜通りを除く地区では、羊を食べる文化がある。

さらに、戦後需要で移地区にも羊の市が開かれていた。東京に出荷していたとの記述。


うーーーーん、このままだと、文化途絶えちゃうんじゃない?

リビルドが容易でないのはよーーーーくわかっているのだけれど、生涯をかける価値(大げさかな)を見出したような気がした。

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2につづく

utsushinomori

福島県田村市船引町の東端、移地区でひつじや養鶏、ふれあいキャストたち(うさぎやポニー、ヤギなど)と日々暮らしています。
福島県からこそ、より良く安全なたべものを。そして、生き物たちと共生の方法を。